Kisnou の音楽活動5年目を記念して作成されたプレイリスト
ぜひ、この記事を読みながら聴いていただいきたい ー
アーティストKisnouとして活動しているジュゼッペ・トリアは、4月15日生まれの23歳。イタリア南部の港町、バリ生まれの彼は何事にも入れ込む性分だそう。心を丸ごと、そして身体もろとも景色、芸術品、空想かっさらわれるのは日常だそう。彼は昔から、自身の空想の世界に入り浸り、そこで得た感情を元に音の着想につなげてきたのだ。幼い頃は自身で音を積み上げるよりか、他人の作った音の影に姿を潜めながら、ひっそりと生きていきたかったからこそ、18歳になるまで楽器に指一つ触れる事がなかった。「心を手放して、自由に音楽に波長を合わせながら、音楽に取り憑かれた感覚は僕の心の拠り所なんだ。」

彼の人生はOwsey、Sorrow、The Cinematic Orchestra や Koda などのアーティストに多大なる影響を受けてきた。特にKodaに関してジュゼッペは「彼はとってもミステリアスなんだ。僕が触れたことのない世界の空気を纏っていて、どうしてもその世界に潜り込んでみたくなるんだ。」恐らく、彼が言う「知らない世界」とは自身の心奥底に沈めてきた感情なのだろう。Koda と言うアーティストに初めて触れたのは 8年前のことで、曲名は ‘The Last Stand’ だそう。聴いた瞬間の「やっとジブンの音楽を見つけた!」と言う気持ちは忘れられないものだそう。自身がアーティスト活動を始めることにした際、Koda とイニシャルを共有したい思いで ‘K’ で始まる言葉からインスピレーションを得た。その言葉とは kismet ー 運命、サダメと言った意味を持っている。その言葉をネジって変化をつけて生まれたのが Kisnou だ。運命という意味を持つ言葉をイジることによって、自分の存在を否定し続ける社会に対して些細な反抗をしているそう。
元来、恥ずかしがり屋なジュゼッペはなかなか友達ができにくかったそう。恥ずかしがり屋な人を勝手に弱い人と決めつける他人の目は、今始まったことではない。「僕は、仲がいい友達もなかなか信用できないんだ。今まで、なんらかの理由で信じたことを後悔することの方が断然多くて…」そして、彼の父親はジュゼッペのことを不良品の様に扱った。「冷淡で、僕に愛を向けてくれたことなんて一度たりともなかった。僕を支えようとしてくれたり、褒めてくれることもなかった。」いまだに、息子が欲しかったのかさえ定かでないと言う。父親の言葉がえぐった傷の膿みは今尚、到底抜けきっていないのだ。彼の姉は、人間というより霊の様で、ほとんど他人だったそう。身体的暴力、心理的虐待、差別などといった要素はどんどん鬱と言う怪物に栄養の様を与えていった。そんな濁流の中で、唯一彼の希望だったのは母親だった。「明くる日が来るたびに、どんどん意味を失いつつあった人生において、生きる意味を与え続けてくれたのは、母だった。」振り返ってみれば、彼の人生は常に小さい光と多大なる暗黒と言うコントラストと共にあった。幼い彼にとってそれは、混乱でしかなかった。
何が正しいのか。
何が間違っているのか。
寂しくて、ボロボロで、怯えていたさなか、見つけたのが音楽と言う現実逃避だった。
「僕にとって幸せとは、広い外の世界にあるものではなく、友達と一緒にいれば見つかるものではなく、真っ二つな家族の間にあるものでもなかった。幸せは僕の部屋の中にあった。現実で見つける事ができなかった、あたたかさを音楽に求めたんだ。」
Kisnou の 'The Fireplace' プロジェクトなども手がけるイラストレーター、 Servane Altermatt が    作成した2017年Kisnou のアイコン
高校ではいじめの手口がより見えづらい、残酷なものとなった。まさに、巧妙化と言う言葉がぴったりだ。差別、シカト、外見に対するいじり、ニセモノの友情。「僕には、憧れられる人がいなかった。この人のために頑張ろうと思える人もいなかった。皆と友達になろうとしたけど、結局一人だった。家庭の影響で当時の僕は正義感というか、正しいものと間違ったものの線引きが激しすぎたのかもしれない。誰も僕に寄りつこうとしなかった。」

ジュゼッペは周りの人と心から歩み寄ることの大切さについてこう語る:「僕は周りの人に寄り添う事ができなくて、周りの人は僕のことを知ろうとしなかった。これって現代社会のありとあらゆるところで見られる問題だよね。本当に助けを必要としている人に周りは気づいてあげられない。」内向性を弱さと勘違いされやすいことを彼は誰よりも知っている。静かな人、抗わない人を、自分の弱さ、自信のなさの入れ物に使う人がこの世に多く存在する。「僕と同じ目に遭う人が少しでも減って欲しいと思う。僕はたまたま、没頭できるものがあったから耐える事ができたけど、やっぱり一人は辛かった。心の拠り所のない人の生活は、命は、いとも簡単に脅かされてしまう。」

'Tale of a man who whispered to flowers'Fireplace プロジェクトの第1作となった失恋物語 

ジュゼッペは、恋をした。「その時は、絶対にこの子だ!って確信が持てたんだ。」と、振り返る。知る人ぞ知る ‘Nina’ という曲は、その彼女がミューズとなっている。彼女はちょっと引っ込み思案で、覚束ない子だったそう。そして彼女には他に想い人がいた。それでも、ジュゼッペは自分なりのアプローチしてみたが、彼が彼女の視界にかろうじて入れるのはメールでのやりとりのみだった。その後、ダメもとで彼女の教室に花束を贈ったジュゼッペの心はもれなく派手な音を立てて真っ二つに割れた。廊下に出ると、彼が想いを込めた花束が床から彼を力なく見つめていたのだ。無心で帰路につき、部屋に閉じこもった。目にたまった涙と頭に上った血を即興のピアノメロディに任せて流した。積りに積もった感情を留めていた関を自ら崩して、それが積み上がり成したのが ‘Tale of a man who whispered to flowers’ である。
その他に、'My Love’ という楽曲なども、艶っぽく、どこか神聖で、哀愁が薫る、恋唄だ。これは、自身の恋とShadow of Colossus と言うゲームのWanderと言うキャラクターに重ね合わせて紡がれた作品だ。
'My Love' ー Shadow of The Colossusというゲームと自身の経験を重ねた失恋をモチーフとした楽曲
ジュゼッペははっきりと、音楽と母親が居なければ今、自分がここにいることはなかった、と語っている。彼の中にできていた亀裂をかろうじて接着していたのがこの二つの存在だった。彼は自分の真っ暗な部屋に閉じこもって、音楽を浴びている時が一番安心できた。彼にとって一種の、逃げ場だった様だ。だが、そのサンクチュアリは脆いものだ。その暗闇自体は今尚彼を取り囲んでいるのだから。彼は、ずっと誰かがその暗闇から自分を引っ張り出してくれるのではないかと、待ち続けた。でも、誰も結局現れなかったそう。待っている間、期待をしながらよく聴いていたのが Cinematic Orchestra の ‘Arrival of the Birds’ だった。この曲は、塞ぎ込んで怯えていた彼の中で小さな陽だまりとなった。「新しい人生、新しい希望、新たなる幕開けについて歌ったこの曲は僕を励まし続けてくれた。」この曲は安堵や、待ち望んでいたものの訪れを予感させてくれう様な儚い力強さを持っている。部屋に引きこもっていた彼に外の景色を見せてくれた曲だ。その後、ジュゼッペは8年ほど学校と部屋のループに閉じこもっていた。彼に転機が訪れたのは自身で音遊びを始めた17歳の時だった。自身の楽曲を配信し始めて、世界中から愛溢れたコメントが寄せられたときには震えるほど力がみなぎった。「ようやく、やりがいを見つけた。美しいものを作る事…正確には、自分が見る事の叶わなかった美しいものに形を与え続けること。」
僕はいまだに過去に囚われている。
自分の父親に憧れる事ができない。それ以前に、「こうはなりたくない」と言う対象。
でも、僕は逆にそれを指針として生きていこうと思う。ああ言う人には、なるまいと。もちろん傷ついて、その傷はまだ疼くけれど、それを経てつよくなれたと思う。
Kisnou の最新のロゴ (2020) ー 二つの手は新しい運命の創造、左右のバランス、そして正誤を表現している
僕は今、振り子の様に自信と陰と陽の間をぶらんぶらんと揺れている。でもファンの皆が僕に与えてくれている愛の影響は僕にとって栄養であり、必要不可欠なんだ。正と誤、光と闇をぐらつく僕にバランスを与えてくれている。僕の血であり、骨であり、生きる活力なんだ。
僕の今までの傷は僕の中でまだまだ脈を打っている。脈を打って、膨らんで、僕を乗っ取ろうとする。でも僕は自分の中の力を全部寄せ集めて対抗している。どうにか、僕を乗っ取ろうとしている何かを、カゴの中に押し込めようと日々戦っている。もちろん、怖い。でも、音楽が僕に戦い続ける力を与えてくれるんだ。

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